美大予備校の優秀作品=デッサンの「答え」ではない
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【目次】
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空間を抉り取る線。血の通った人間を描くということ
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人物デッサン、まずまずの描き始め。その「思い込み」危険かも?
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美大予備校の優秀作品=デッサンの「答え」ではない
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巨匠たちに学ぶ「本当のデッサン力」とは
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画一化されたお手本から離れ、本質を見つめ直そう
空間を抉り取る線。血の通った人間を描くということ
今回は、「デッサンを貫くもの」について人物画を例えに考えてみてください。
鉛筆の線一本一本が、ただ表面の輪郭をなぞるのではなく、人物の形や骨格を必死に模索するように引かれている状態。まるで、何もない二次元の空間をゴリゴリと抉り取りながら、その空間の中に確かな質量を持った人物を浮かび上がらせているような感覚です。
紙の上にいるのは、単なる形のコピーや黒鉛のシミではありません。体温を持ち、血の通った、今にも息をして動き出しそうな「人間」がそこに存在する。これこそが、線が生きている証拠であり、対象を深く捉えているということです。
人物デッサン、まずまずの描き始め。その「思い込み」危険かも?
このような描写ができれば、人物デッサンとしてまずまずの描き始めと言えます。でも、ここで少し立ち止まって考えてみてください。皆さんは、「人物デッサン」と聞くと普段どんな絵を思い浮かべますか?美大受験予備校のパンフレットに載っているような、綺麗に描き込まれた「優秀作品」をイメージしていませんか?
実は、デッサンにはある程度決まった「答え」のような描き方がある、と思い込んでいる人がすごく多いんです。長崎絵画教室でも、いらっしゃる方の多くが、無意識のうちにこの「見えない正解」に縛られているのを感じます。この「デッサンってこういう感じ」という思い込みこそが、一番危険だったりするんですよね。主体的視点や、観察の鋭さを奪ってしまうからです。
美大予備校の優秀作品=デッサンの「答え」ではない
そのような思い込みを持ってしまうのも、ある意味では無理もありません。私たちにとって、予備校の参考作品のような綺麗にまとまったデッサンはとても身近にあり、一番見つけやすい環境にあります。だからこそ、それが唯一の正解だと勘違いしてしまうのも当然なのかもしれません。
でも、はっきりと言えます。それは「認識の偏り」です。デッサンにおいて本当に大切なのは、小手先のテクニックや表面的な綺麗さではありません。要は、デッサンは「デッサン力」がものをいうのです。誰かと同じようなトーンを作ることではなく、対象のありのままをどう捉えるかという本質的な力が問われています。
巨匠たちに学ぶ「本当のデッサン力」とは
よく考えてみてください。レオナルド・ダ・ヴィンチも、安井曾太郎も、鴨居玲も、エゴン・シーレも、美術史に名を残す凄まじいデッサン家たちです。しかし、彼らの描いたデッサンは、予備校のパンフレットにあるような均質でツルッとした作品に似ていますか?全く違いますよね。
彼らに共通しているのは、対象の内面や構造まで掴み取ろうとする圧倒的な「デッサン力」そのものであり、画一化された答えを求めて競争したような痕跡は、画面のどこにもありません。彼らは誰かの用意した正解に合わせるのではなく、自分自身の目で対象を観察し、対象の真理に迫ろうとしていたのです。
画一化されたお手本から離れ、本質を見つめ直そう
繰り返しますが、一番危険なのは「デッサンってこんな感じだろう」という、自分の中の凝り固まった思い込みです。もし、自分のデッサンがどこか息苦しい、ただの作業になってしまっていると感じている人がいるなら。そんな人はもう一度、世間に溢れる画一化された「デッサンのお手本」から思い切って離れてみてください。
そして、ダ・ヴィンチやシーレのような巨匠たちの生のデッサンをじっくりと観察してみてください。「デッサンの本当の要素とは一体何なのか?」を自分なりに分析し、肌で感じながら理解を深めていく。
